寿命と遺伝子
財団法人東京都老人総合研究所
分子遺伝学研究室長 白澤 卓二
1 遺伝子とは? ヒューマンゲノムプロジェクトから何が解明できるのか?
ヒューマンゲノムプロジェクトが国際共同研究で進行中ですので、皆様も新聞紙上で遺伝子のことあるいはヒトゲノムの話題を見たり聞いたりする機会が増えたと思います。最近の話題では、ヒトゲノムの最も基本的な構造である塩基配列の決定がほぼ終了したとの歴史的発表がありました。つまり、ヒトの設計図でもある青写真の全体像を解明したということなのです。
しかし、この資料はこのままでは、AとTとCとGという四つの暗号の組み合わせで、これらの塩基配列がどのように体を組み立て、また体を維持することに役立っているかは、これからの研究のなかで明らかにされていく問題なのです。これまでのゲノム研究の結果、今日ではヒトゲノムの中には10万個に及ぶ遺伝子が存在することが解明されました。これら遺伝子の一つ一つが、いろいろな蛋白質をつくるための設計図になっています。体の中で合成された蛋白質は、体の構成成分になったり、酵素となって化学反応を触媒したりして、体の生命活動を支えています。
それではこれらの遺伝子情報がどのように我々に役に立つのでしょうか? 一つの例を挙げれば、ガンの予防、治療が有ります。乳ガン等の特定のガンは、いくつかの発症に関する遺伝子を調べることによって、その人の発症のリスクを知ることができるようになるでしょう。また、一旦ガンになってしまった後でも、そのガン細胞にどの抗ガン剤が効くのか、薬剤に対する感受性に関係する遺伝子を調べることにより、治療方針を選択できるようになるでしょう。
2 寿命は遺伝子によって決まっている
さてそれでは、このゲノムの中に、実際ヒトの寿命を決定している遺伝子があるのでしょうか? 最近の研究により、いくつかの遺伝子は確かに寿命の決定に係わっていることが判ってきています。おそらく、今後数十年の研究で、寿命や老化あるいは老年病の発症に係わる遺伝子が解明し、先ほどのガンの話のように、老化を抑えたり、治療したりする時代が訪れるのではないかと期待します。
これまでに、最も長生きした人は1997年に122歳で亡くなったフランス人女性です。統計学的にもヒトの最大寿命は120歳前後であることが知られています。ところが、実験室で飼育しているマウスはせいぜい数年しか生きません。本日、本田研究員から紹介のある線虫に至っては、3週間の寿命しかありません。この様に、動物の最大寿命(限界寿命)は種によって規定されていますが、その種の特性を決めているのがやはり遺伝子なのです。
3 先進国の平均寿命は伸び続けている
それでは、果たして寿命には限界があり、現在のび続けている平均寿命にもエンドポイント(限界点)がくるのでしょうか? 最近、米国の民間機関が、先進7ヶ国の今後の平均寿命を予測した論文を科学誌「ネイチャー」に報告しています。
先進7ヶ国で最も長寿化が進行した国が日本で、現在の平均寿命は男77歳、女84歳、50年後には、確実に90歳を越える見込みです。アルツハイマー病など以前には目立たなかった変性疾患の出現にもかかわらず、先進国における平均寿命は続伸を続けているというのがその内容です。従って、先進国に住んでいる私たちにとっては、未だ限界寿命が見えず、平均寿命は伸び続けているのが現実です。
4 早老症ウエルナー症候群とは?
遺伝性の病気の中に、早老症と呼ばれる病気があります。ウエルナー症候群は早老症の中では、代表的な疾患で日本でも多数の症例が報告されています。病気の特徴は一言で言えば、老化が早期に進行するため、若くして高齢者のようになって、短命に終わる病気です。従って、20歳〜30歳代の若さで、白髪になったり、皮膚にしわができたり、白内障、糖尿病、動脈硬化、骨粗鬆症のような高齢者がかかる病気に若くして侵されます。この病気は遺伝子の変異によって発症しますので、遺伝子変異が親から子供へ遺伝したときには、子供も同様の症状を来します。
最近、この病気の原因遺伝子が解明され、病気の原因がDNAヘリカーゼというDNAの組換えに関与する酵素の異常であることが判りました。この発見もやはり遺伝子が、寿命や老化を規定しているという仮説を支持しています。早老症はウエルナー症以外にも、コケイン症候群、プロジェリア、毛細血管拡張性アタキシア症等の病気が知られていて、寿命や老化が一つだけではなく、複数の遺伝子の制御を受けていることを示唆します。
5 遺伝子操作と寿命研究
昨年11月、遺伝子を改変して寿命を3割のばした長生きマウスの作製に成功したとイタリアの研究チームが報告しています。通常は760日の寿命に比べ、変異マウスは970日の平均寿命を全うしました。最近では、この様に遺伝子を操作したマウスを作製する事が可能になり、これまで不明であった遺伝子の機能を解明したり、逆に遺伝病のマウスを作製し、病気の治療法の確立に役立てたりしています。この成功例のように寿命に関連する遺伝子を改変したマウスを作製することにより、動物の寿命がどこまで長寿化できるかに多くの期待が寄せられています。
本日、本田研究員より紹介してもらう線虫は、寿命が3週間と短く、これまでにも長寿命遺伝子の発見に大きな貢献をしてきました。これらの実験動物を上手に寿命研究に応用することにより、我々人類が将来150歳まで生きられる日も夢では無いかも知れません。
白澤 卓二 (しらさわ たくじ)
千葉大学医学部卒業。医学博士。千葉大学医学部附属病院呼吸器内科、千葉大学免疫学教室、東京都老人総合研究所分子病理部門研究員、同研究所神経生理部門研究室長を経て、平成10年より現職。アルツハイマー病の分子病理学、長寿遺伝子に関する分子遺伝学的研究に従事。主な著書に、「老化の科学(老化とタンパク質のラセミ化)」『現代化学』(東京化学同人)、「イソアスパラギン酸メチル転移酵素欠損マウスの解析」佐藤昌康編『ブレインサイエンス最前線』(講談社)、「アルツハイマー病とプレセニリン蛋白」『現代医療』(現代医療社)

|