アルツハイマー病の脳リハビリ
1 成人脳における神経再生
つい最近まで、ヒトの脳細胞は誕生以降は減少し続ける一方で、新たに発生することはないとされていました。60歳ともなると脳細胞は生まれた時の半数にまで減ってしまうので、もの忘れをしたり痴呆症になりやすくなるのも当然だなどと言われてきました。また、細胞新生がないのだから大脳に生じた障害は治りようがないとも説明されていました。
ところが近年、神経細胞の新生の源となる多能性の神経幹細胞が存在することが明らかにされてきました。また、成人になってもヒトの脳では神経細胞が新生することもわかってきました。つまり、神経系が損傷を受けても理論的には自己修復が期待できるのです。こうしたことで、大脳の変性疾患や頭部外傷などに対する再生医療への期待は急速に膨らみつつあります。
2 アルツハイマー病の脳リハビリの基本的考え方
こうした進歩は、アルツハイマー病の認知リハビリテーションにも大きな影響を与えています。少なくともラットにおいては、学習、運動、豊かな環境が神経の新生を促進することが明らかにされています。そこで、どんなリハビリがヒトの神経細胞の新生を促すのかを探索しようとする立場が現れてきました。
その一方で、残存機能により失われた能力を補うという伝統的な方針がアルツハイマー病に対して有効か否かということは、実は殆ど検討されていません。
そこで、アルツハイマー病患者の認知機能障害を補おうという目的に向かって要点をまとめてみました。
3 アルツハイマー病の脳の特徴
アルツハイマー病というと、大脳がすっかり侵される病気と思われがちです。確かに進行した段階ではそれに近い状態になりますが、ほぼ無傷であったり、軽度障害で済む部位もあります。こうした場所にある神経細胞に働きかければ、代償作用が生じるかもしれません。
我々は初期のアルツハイマー病患者に特徴的な脳血流パターンを探るためSPECTにより検討してきました。その結果、血流低下ばかりでなく、逆に少なからぬ部位では、血流が有意に増加することがわかりました。こうした増加は、アルツハイマー病患者の脳がもつ代償機能の現れかもしれません。事実、ある種の言語機能テストでは、健常の方の脳では関与しない脳のある部位がアルツハイマー病患者の脳では賦活されるという知見も得ています。
4 前頭前野への注目
前頭前野は以前からワーキングメモリーを担っている場所として注目されてきました。また最近では、想起に際して最初の引き金を引くこと、遂行機能に関わることも明らかにされてきました。
ところで、日本では唯一使用されているアルツハイマー病治療薬にアリセプトがあります。これを服用することによって、大脳の血流にどういう変化が生じるかを検討してみました。その結果、前頭前野での血流低下が進行しないことがわかりました。この前頭前野は、アルツハイマー病患者の脳では比較的保たれる部位ですので、リハビリの1つのターゲットになるかもしれない、と考えられます。
事実、一般高齢者において有酸素運動を課したところ、上述の遂行機能が改善したという報告があります。アルツハイマー病の脳リハビリの候補の1つとして有酸素運動も注目されます。
5 右脳・左脳
我々の実生活で問題になる記憶とは、概して視覚よりは言語を介した記憶です。この言語には、視覚も聴覚もともに関与します。また、音楽には主として聴覚が、絵画には視覚が関わってきます。言語には概して左脳が、音楽・絵画には右脳が関係すると言われています。
これまでにも、アルツハイマー病患者の認知機能を改善することを目的としたリハビリは幾つかありました。それらの多くは言語を媒介として、記憶そのものを標的としていました。しかし、満足できる効果は得られなかったのです。
一方、音楽や絵画がアルツハイマー病の脳リハビリの手段として注目されることは稀でした。けれども、ここに示した脳機能の左右脳への偏りやアルツハイマー病患者の方の脳の代償機能の可能性を考えると、音楽や絵画によるリハビリは、もっと注目してよいはずです。
6 アルツハイマー病の脳リハビリの試行とその結果
既述した考えに基づいて、有酸素運動と特殊な合奏療法や絵画療法を初期アルツハイマー病患者を対象に、半年間にわたって試行しました。また、コントロールとしてこうした非薬物療法を施行しないグループを設定しました。
認知機能に対する効果の評価はWAIS-RとWMS-RそしてHDSR、MMSEを用いて行いました。その結果、合奏療法と絵画療法を施行した群ではWAIS-Rの2つの下位尺度について有意な改善が認められました。
朝田 隆(あさだ たかし)
東京医科歯科大学卒業。昭和57年同大学神経科、甲府市立病院神経内科勤務。昭和59年山梨医科大学精神神経科勤務、この間オックスフォード大学老年科留学。平成7年国立精神・神経センター武蔵病院勤務、老年精神科医長、リハビリテーション部長。平成13年4月より現職。

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