痴呆症の薬物療法
財団法人東京都老人総合研究所
精神医学研究部長 本間 昭
アルツハイマー型痴呆を含めた痴呆症の症状は大きく分けると二つあります。
一つは痴呆症の中心の症状である記憶障害、つまり物忘れや判断力の低下や段取りをつけることができなくなる、また時間や場所が不確かになるといった痴呆症であれば必ずみられる症状です。同じことを何回も聞いたり、言ったりする、出かけて道に迷い警察に保護されたりする、大切な約束を忘れてしまう、同じ服をいつまでも着ている、寒い日にも薄着のままでいる、電子レンジの使い方がわからなくなるなどの日常生活上の変化として現れます。
もう一つは記憶障害などのために二次的に現れる症状です。今までできていたことができなくなったり、自分で物忘れを自覚して抑うつ状態になる、自分の仕舞い忘れや置き忘れを人のせいにする物盗られ妄想、ここは自分の家ではないといって荷物をまとめて出ていこうとする、ささいなことで怒りっぽくなり、家族に当たり散らす、夜中に何回も起きて部屋の中をうろうろするなどがあります。
今までの痴呆症の薬物療法では、記憶障害などのために二次的に現れる症状を対象に、精神安定薬を使って症状を軽減するための治療が大部分の割合を占めていました。しかし、このような薬物療法ではしっかりした使用方法のためのガイドラインがなく、それぞれの主治医の経験によって行われているのが現状です。そのため、使い過ぎて、転倒の原因になってしまったりすることが少なくありません。現在、標準的な用い方が学会などでまとめられている最中です。
痴ほう症の記憶障害そのものに対する治療薬はいままでありませんでしたが、日本でもアルツハイマー型痴呆にみられる記憶障害や判断力の障害を改善したり、悪化を遅くするための薬がおおよそ1年前から使うことができるようになりました。この薬は日本で作られたものですが、すでに世界中で使われています。記憶障害の治療薬ですから、今までの精神安定薬とはまったく異なるものです。アルツハイマー型痴呆の方の脳では神経細胞の働きが悪くなったために記憶に関係するアセチルコリンという神経ホルモンの1種が減っています。この薬はアセチルコリンが分解されるのを防ぎ、アセチルコリンを増やすようにします。その結果、一時的ですが記憶力や判断力が改善されます。また、この薬を飲み続けると1年程度ですが、痴呆の進み方が遅くなります。もちろん、この薬はアルツハイマー型痴呆を元から治す薬ではありませんし、たった1年と言われるかもしれませんが、アルツハイマー型痴呆の始まりの時期の1年間は貴重です。その間に、将来痴呆が進んでしまった時にどうして欲しいとかを考えたり、決めたりすることができるからです。一時的であっても、一人
で 買い物に行けるようになったり、自分の意思を言うことができるようになるなど症状が良くなることは家族にとっても本人と生活していく上での希望になります。将来に備えての心構えを作る時間にもなります。
この薬を飲んで日常生活でみられた具体的な変化は次のようなものです。
| ● 置き忘れが減った。 |
| ● 会話の疎通性がよくなった。 |
| ● 簡単な食事の準備ができるようになった。 |
| ● 買物に行ってもきちんと帰れるようになった。 |
| ● 時間や日付が言えるようになった。 |
| ● 思い出すまでの時間が短くなった。 |
| ● 家族を他人と間違えることが減った。 |
| ● 食べたい物を言うことができるようになった。 |
| ● 自分から散歩や買物に行くようになった。 |
| ● 自分から気づいて草取りをするようになった。 |
| ● トイレの電気を消すようになった。 |
| ● 風呂から出てガスを消すようになった。 |
| ● ベルが鳴ると電話機をとるようになった。 |
しかし、薬を使う方法であっても、使わない方法であっても一番大切なことはアルツハイマー型痴呆を含めた痴呆をできるだけ早く見つけることです。どうせ進んでしまう病気だったら早く見つけても、意味がないのではという意見もあります。しかし、これは大きな間違いです。できるだけ早く見つけて、うまく対応することによって病気自体の経過も変わってきますし、何より介護の負担を減らすことができます。どんな病気にもあてはまることですが、早く見つけて治療を始めた方がいいことは明らかでしょう。介護保険が実施されてから痴呆についての関心は前よりも高くなっていることは確かですが、それでもなかなか早い時期には見つけられにくいのが今の現実です。痴呆の早期発見を妨げているものには様々なものがあります。家族の理解が十分ではない、かかりつけ医の先生にわかってもらえない、介護保険のサービスに携わっている人たちの認識が足りない、近くに専門医がいないなどです。どれも一朝一夕でどうにかなるものではありませんが、不可能なことでもありません。日本のあちこちの市や町で、このような障害を乗り越えて、痴呆の早期発見に取り組んでいます。痴呆が進んでしまってから様々な手だてを講じるよりも、人手もお金もかからないことが少しづつですが理解されてきています。
本間 昭(ほんま あきら)
東京慈恵会医科学大学卒業。医学博士。昭和56年聖マリアンナ医科大学神経精神科講師。昭和60年東京都老人総合研究所精神医学研究室長を経て平成7年より現職。老年期の痴呆の疫学的研究および痴呆の臨床評価を中心に老年精神医学領域の研究を進めている。主な著書に、「高齢者のための知的機能検査の手引き」「老年期精神疾患治療のためのストラテジー」など。

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