占領期の看護政策改革

 

○杉田聡(大分医科大学医学部看護学科)、畑中祐子(大分医科大学大学院医学研究科看護学専攻)

 

 

  1. はじめに

第2次大戦後の連合軍占領下においては、政治、経済と同様に保健医療政策に関しても連合軍総司令部公衆衛生福祉部(GHQ/PHW)の指導の下で様々な改革がなされた。本研究ではこの改革のプロセスをGHQ/PHWの部内文書であるWEEKLY BULLETINを分析することにより、占領期の保健医療政策研究の全般的把握を目的とした。本発表ではその中から、看護に関する改革について報告する。

 

1.終戦直後の状況

 

2.看護協会の改組

戦争前は、臨床看護婦、保健婦、助産婦がそれぞれ協会を持っていたが、PHWの示唆により、3職種合同の日本看護婦保健婦助産婦協会が1946年11月23日に設立された。

 

3.看護教育の改革

  1. 1946年3月25日に看護教育審議会が初会合を持った。第2回会議(1946年4月11日)には、看護学校のカリキュラム、臨床指導者に対する再教育コース、模範学院についての討議がなされた。
  2. 東京模範看護学院(Tokyo Demonstration Nursing School)が、日本赤十字病院にて正式に開設された(1946年5月)。本院は聖ロカと赤十字の両方の看護学生で構成される3年間のコースである。
  3. 再教育コース(Refresher Course)は、臨床看護婦、保健婦、助産婦のそれぞれのコースがあり、1ヶ月から5ヶ月の短期間コースで、日本赤十字病院、第一国立病院、国立公衆衛生院、保健所等で開催された。このコースでは、主に優れた看護婦を指導者とするために開設された。
  4. 看護学校の教育の水準に幅があるため、AクラスとBクラスに各看護学校を視察・評価した上で格付けをした。
  5. 看護教育審議会の中に免許小委員会が設立され、看護職の国家試験について討議された(1946年5月)。その結果、1948年7月に保健婦助産婦看護婦法が交付され、この法律のもとに、国家試験をそれぞれの看護職に対し行うことになり、それまで都道府県レベルで行われた試験は廃止された。